有意義にお金を使って日々を楽しく過ごすことが幸せだと気づいた

お金に対するイメージ

収入として頂くお金の多い少ないは、働いているときは自分と家族の努力の成果の物差しだと考えておりました。

そして今年金生活に入ってからも年金額は働いていた時の自分と家族の努力の成果の物差しだと考えています。

生活レベルは収入と貯えの額を考えて相応にすべきと私と家族は考え実践しています。

お金は個人の努力だけで多く得るわけでもなく、出自も影響するのは仕方がないと考えていますがその差は少ない方が良いと思います。

ただ障害者さんとか色々な事情で不十分な収入に甘んじなければならない人には、福祉を充実すべきと考えます。

「お金は汚い」と言われることが多いのはなぜか?

それは不正な手段で高額なお金を自分の物にしたり、既得権があって高額な不労所得を得られる人が存在することを庶民が知っているからそのように思う人がいるのではないでしょうか。

また支払うべき税金を上手に逃れる人がいる一方で、給与所得者のように所得の100%を税務当局に把握される人がいて平等ではないと考えるのは当然だと思います。

出自でどうしても生まれながらに収入や貯えに差がつきます。
生活レベルにも差がつきます。

そのような場合、お金に対し納得できないものを感じて「お金は汚い」と言うような感情を持ってしまうのではないでしょうか。

私ががお金がないと感じた時

3人の子供が私立大学に入学しました。
学費の他にアパート代と生活費を毎月振り込みましたが、2人が3年重なったため苦しい思いをしました。

家が大学に近い人は住居費と生活費がかからないのでうらやましく感じました。

貯えはすべて消えました。
第1志望に3人とも入れませんでした。
浪人させられなかったのが親として申し訳ないと今でも感じます。

お金がもっとあれば浪人させてランクの上の大学へ入れてあげられたかもしれないと、子供に謝りたいです。

不満の言葉を出さなかった子供たちをいじらしく思いました。

お金がないときに見えた価値観

妻の実家から借りるとか親戚から借りるとか、銀行から借りるとかいろいろ考えました。

でも返済に今一つ自信がなく自分の無力を感じました。

私の家が財産家でもなく、また私の能力が十分でないため収入も少なく貯えも少なく世の中は平等ではないなとその時は感じました。

しかし明日のお米に困るわけでなし自分と家族の器でやっていく以外にないと納得しました。

家族も同じ気持ちでした。
上を見ればきりがない。
人間まっとうに生きていればそれでいいんだよと家族で言いあいました。

Pages: 1 2